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高松地方裁判所 昭和49年(ワ)33号 判決 1976年4月14日

原告

塚本幸二

被告

臨海土木株式会社

ほか一名

主文

(一)  被告北島秀光は、原告に対し、金八八三万四、六三七円及びこれに対する昭和四九年二月二六日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

(二)  原告の被告北島秀光に対するその余の請求並びに被告臨海土木株式会社に対する請求はいずれもこれを棄却する。

(三)  訴訟費用中、原告と被告北島秀光との間に生じたものはこれを五分し、その一を被告北島秀光の負担とし、その余を原告の負担とし、原告と被告臨海土木株式会社との間に生じたものは全部原告の負担とする。

(四)  この判決は、原告の勝訴部分にかぎり、仮に執行することができる。

事実

(当事者双方の求めた裁判)

原告は、「被告らは、各自、原告に対し、金五、〇〇〇万円及びこれに対する昭和四九年二月二六日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、被告らは、「原告の請求を棄却する。」との判決を求めた。

(原告主張の請求原因)

一  事故の発生

原告は、次の交通事故(以下本件事故という。)によつて受傷した。

1  日時 昭和四八年七月一一日午前六時二〇分ころ

2  場所 香川県大川郡津田町津田一、五五九番地一先十字路交差点(以下本件交差点という。)

3  加害車 普通乗用自動車(福山五五ち第三、〇五三号、以下被告車という。)

運転者被告北島秀光(以下被告北島という。)

4  態様 原告は、軽四輪トラツク(六香ら第四、六八七号、以下原告車という。)を運転し、本件交差点を東から西に向つて進行中、同交差点を南から北に向つて進行して来た被告北島運転の被告車に衝突された。

5  傷害の部位、程度 頸髄損傷、両側四肢麻痺

6  治療の経過 原告は、本件事故当日である昭和四八年七月一一日から昭和四九年二月二八日まで高松赤十字病院に入院して治療を受けた。

7  後遺障害 原告は、本件事故により頸髄損傷、両側四肢麻痺の後遺障害を残し、全身不随のいわゆる植物人間の状態であつて、生涯を通じ完全な介護を必要とする状況にあり、その程度は自動車損害賠償保障法(以下自賠法という。)施行令別表等級第一級に相当する。

二  被告らの責任原因

1  被告臨海土木株式会社(以下被告会社という。)

被告会社は、被告北島を雇傭し、被告会社徳島事業所に勤務させていたが、本件事故当時、被告会社香川事業所への出張を命じ、被告北島が被告車を運転して右香川事業所へ出張出勤する途上本件事故を惹起させた。従つて、被告北島の被告車の右運転は、被告会社の事業の執行にあたるから、被告会社は民法七一五条一項本文により本件事故に基づく原告の損害を賠償する義務がある。また、被告会社は、被告車を自己のため運行の用に供していた者というべきであるから、自賠法三条本文により本件事故に基づく原告の損害を賠償する義務がある。

2  被告北島

本件事故は、被告北島が前方注視を怠つた過失により発生させたのであるから、同被告は民法七〇九条により本件事故に基づく原告の損害を賠償する義務がある。

三  損害

原告の本件事故に基づく損害は、次のとおり合計金七、三七一万七、〇一七円である。

1  治療費 金二二万二、九九一円

原告は、前記入院期間のうち昭和四八年七月一一日から同年一〇月三一日までの間に高松赤十字病院に対し、治療費として金二二万二、九九一円を支払つた。

2  入院雑費 金六万一、五〇〇円

原告は、前記入院期間のうち昭和四八年七月一一日から昭和四九年一月三一日までの二〇五日間に、一日金三〇〇円の割合による金六万一、五〇〇円の雑費を支出した。

3  逸失利益 金六、一一四万六、八二五円

原告は、妻サヨ子と二人で漁業に従事し、漁船漁業とのりの養殖業を営んでいた。昭和四七年一月一日から同年一二月三一日までの漁船漁業による収入は金一〇一万三、〇〇〇円、昭和四七年一二月一日から昭和四八年四月一日までののりの養殖による収入は金六九五万二、一七二円合計金七九六万五、一七二円であつた。そして、原告の右収入における寄与率はその六割であつたから、原告の一日当りの収入は金一万三、〇五七円(ただし、一年を三六六日として算出する。)となる。

ところで、原告は、昭和二年四月一二日生まれの健康な男子であつたが、本件事故による後遺障害により生涯労働不能になつたのであつて、本件事故にあわなければ、少なくとも、今後六三才を満了する昭和六六年四月一一日まで就労可能であり、その間前記収入と同額の収入をあげ得た筈である。従つて、原告の右期間における逸失利益の総額は、金六、一一四万六、八二五円(これは、事故当日から昭和四九年四月一一日までの二七五日間における休業による損害金三五九万〇、六七五円と昭和四九年四月一二日から昭和六六年四月一一日までの一七年間における逸失利益をホフマン式計算法により中間利息を控除して算出した金五、七五五万六、一五〇円との合計額である。)となる。

4  介護料 金六二八万五、七〇一円

原告は、前記のように生涯を通じて介護を必要とするので、一日金一、〇〇〇円の割合による平均余命二八年間の介護料をホフマン式計算法により中間利息を控除して算出すると金六二八万五、七〇一円となる。

5  慰謝料 金六〇〇万円

原告の傷害、後遺障害の程度などから原告に対する慰謝料は金六〇〇万円(これは傷害治療分金一〇〇万円と後遺障害分五〇〇万円との合計額である。)が相当である。

四  結論

よつて、原告は、被告らに対し、各自、前項の損害のうち金五、〇〇〇万円及びこれに対する本件訴状が被告らに送達された日の後である昭和四九年二月二六日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(被告らの答弁及び主張)

一  被告会社

1  答弁

請求原因一項のうち、1ないし4は認める、5ないし7は知らない。

同二項の1のうち被告会社が被告北島を雇傭し、被告会社徳島事業所に勤務させていたことは認めるが、その余は否認する。

同三項のうち、1は知らない、2は争う、3のうち原告が昭和二年四月一二日生まれの健康な男子であつて、本件事故による後遺障害により生涯労働不能になつたことはいずれも知らない、その余は争う、4及び5は争う。

同四項は争う。

2  主張

本件事故は、被告北島の個人生活領域において発生したもので、被告会社の事業の執行とはなんら関係がない。すなわち、被告北島は、昭和四八年五月一日から徳島市万代町二―五―八所在の被告会社徳島事業所に所属し、同事業所の同市津田町勝浦河口上で浚渫船八重垣丸に乗船し、同船の操機士の業務に従事していた。被告会社は、被告北島に対し、昭和四八年六月一五日から同年七月一七日まで被告会社香川事業所(香川県坂出市築港町一―一―一三一所在)に右八重垣丸ごと応援出張を命じ、右出張期間中の日当、宿泊料は勿論、国鉄徳島駅から坂出駅までの往復乗車賃一、一四〇円の交通費を支給した。被告北島は、右出張の期間中、坂出市京町三―六―六所在の被告会社社員寮に居住し、同寮を住居として、午前八時他の同僚八名とともに被告会社差し廻しの二台の乗用車に分乗して同寮を出発し、丸亀港に着き、同港午前八時三〇分発のフエリーに乗船し、午前九時一〇分丸亀市広島町江の浦港に到着し、被告会社の揚錨船に乗りかえて八重垣丸に乗船し、操機士の業務に従事していた。そして、被告北島の勤務時間は、午前九時一〇分から翌日午前九時一〇分までの二四時間で、復路は、午前一〇時三〇分江の浦港発のフエリーに乗船し、午前一一時三〇分丸亀港に到着し、同港から被告会社の二台の乗用車に分乗して午前一一時四〇分ころ帰寮していた。

ところで、本件事故の前日である昭和四八年七月一〇日は被告会社のボーナスの支給日であつた。被告北島は、同日非番であつたので、被告会社香川事業所でボーナスの支給を受けた後、これを妻に渡すため、同被告所有の被告車を運転し、徳島市南昭和町三―五一―一の自宅に帰り、同所で一泊し、翌朝被告車を運転して前記社員寮に帰る途中本件事故を惹起させた。このように、本件事故は、被告北島が非番の日における自由な時間を利用し、自己の私用のために被告車を運転中発生したもので、被告会社の支配の及ばない被告北島の個人的生活領域におけるものであり、また、右事故は、被告北島の通勤途上における事故とはいえないし、仮に通勤途上における事故にあたるとしても、被告会社の業務の執行とはなんら関係がない。

被告会社は、被告北島に対して、被告車の所有、使用を命じたり、同車のためのガソリン代を支給したり、駐車場を提供したりなどして便宜を許容したことは全くない。被告会社は、マイカー通勤者に対し、届出による許可制を採用し、二年以上の運転経験を有すること、強制保険及び任意保険(保険金二、〇〇〇万円以上)に加入していることなどを条件に許可を与えていた。しかるに、被告北島は、被告会社に自己所有車による通勤の届出さえもしていなかつたので、被告会社としては被告北島が被告車を所有してこれを何に使用しているかも知り得なかつた。のみならず、被告北島は、八重垣丸の操機士の業務に従事していたので、被告車を被告会社の業務に利用したことはない。このように、被告会社には、被告車に対する運行支配はなく、運行利益もなかつたのである。

以上のとおりであつて、被告会社は、本件事故につき民法七一五条一項本文の使用者責任並びに自賠法三条本文の運行供用者責任はない。

二  被告北島

1  答弁

請求原因一項のうち、1ないし4は認める、5は知らない、6は認める、7は知らない。

同二項の2は認める。

同三項のうち、1及び2は争う、3の前段のうち原告とその妻サヨ子が漁業に従事していたことは認めるが、その余は知らない、後段のうち原告が昭和二年四月一二日生まれの健康な男子で、本件事故による後遺障害により生涯労働不能となつたことは知らない、その余は争う。原告の昭和四七年度における税務署に対する確定申告額は金一〇一万三、〇〇〇円であるから、原告の逸失利益は、右申告額を基礎として算定すべきである。仮に、原告に右申告額をこえる所得があるとしても、その所得金額から二分の一ないし三分の一の人件費その他の必要経費を控除すべきであり、更に、所得金額に応じた税金を控除して逸失利益の算定をするのが公平の原則に合致する。また、原告は、妻サヨ子と長男の三名で漁業に従事しているから、原告の寄与率は五割とみるのが妥当である。そして、逸失利益の算定は、合理性のあるライプニツツ式計算法によるべきである。4は争う。介護料についても右同様ライプニツツ式計算法によるべきである。5は争う。原告主張の慰謝料は多額に過ぎるから、金四〇〇万円を限度とすべきである。

同四項は争う。

2  過失相殺の抗弁

本件事故発生については、原告にも次のような重大な過失があるから、原告の損害額を算定するにあたり斟酌すべきである。

被告北島は、事故当日、被告車を運転し、時速約六〇キロメートルで国道一一号線(歩道を含む幅員約一〇メートル)を徳島市方面から高松市方面に向つて北進中、午前六時二〇分ころ、交通整理の行なわれていない本件交差点の手前約一〇〇メートルの地点に差しかかつた際、右前方の交差道路を東から西に向つて同交差点に進入しようとする原告車が同交差点の手前で一時停止したのを認めた。ところで、被告北島の進行した国道一一号線は道路標示により中央線が設けられていて明らかに優先道路であり(道路交通法三六条二項)、しかも被告車は原告車にとつて左方車であるから、原告車は同交差点において被告車の進行妨害をしてはならない(同条一項一号)ところから、被告北島は、原告車が右法規に従い被告車を優先進行させるものと信頼して、原告車よりも先に同交差点を進行しようとして時速約七〇キロメートルに加速して進行中、同交差点の手前約六〇メートルの地点に達したとき、原告車が同交差点に進入して来たので、約三〇メートル手前でクラクシヨンを鳴らし急制動の措置をとつたが間に合わず、被告車前部と原告車左側前部とが衝突した。

原告は、本件交差点の直前で、左方の国道一一号線を進行してくる被告車を認めて一時停止したものの、右方道路(国道一一号線)に注意を奪われて前記法条の注意義務を怠り、しかも同法四三条(原告の進行した道路には一時停止の交通標識があり、被告車の進行妨害をしてはならなかつた。)、七〇条(安全運転義務)に反して、被告車の動静に全く注意を払わないまま、被告車が約六〇メートルの地点に接近しているのに本件交差点に進入し、被告車の進行を妨害して衝突させたのであるから、原告の過失は重大である。従つて、本件事故における過失の割合は、原告八割、被告北島二割が相当である。

3  損害の填補

原告は、

(一) 昭和四八年七月一八日、被告北島から金一五万円

(二) 昭和四九年一月二八日、自賠責保険から金五〇万円

(三) 同年六月一九日、自賠責保険から金五〇〇万円

合計金五六五万円の支払を受けているから、原告の損害額から右金員を控除すべきである。

(被告北島の抗弁に対する原告の答弁及び主張)

一  被告北島の過失相殺の抗弁事実は否認する。本件事故は、被告北島の次のような重大な過失によつて発生したものである。

1  原告は、本件交差点の手前で左方約一五〇メートルの地点に被告車を発見し、一時停止したうえ、同交差点に進入したところ、被告北島が、原告車よりも先に同交差点を通過しようとして、時速約七〇キロメートルに加速して進行したため、本件事故が発生した。

2  道路交通法三六条一項一号の左方車優先の規定は、交差点において、交差道路から同時交差点に進入しようとする車両がある場合に、左方から進入する車両に優先権を与えたものであつて、本件のように、明らかに先に交差点に進入しようとする原告車がある場合には、後から進入してくる被告車に優先権を与えるものではない。もともと、左方車優先の原則は、車両が左側通行を行なつているところから、交差点に同時に同速度で進入した場合、接触地点を左方車の方が先に通過することに基づくものであるから、本件における被告車に右原則の適用はない。

3  本件交差点の道路幅員は、原告車の進行した道路が一一メートル、被告車の進行した道路が八メートルであつて、原告車の道路の方が明らかに広いのであるから、道路交通法三六条二項、同条一項により原告車の道路に優先権がある。

4  被告北島は、本件交差点に進入するに際し、原告車の動静に特に注意し、かつ、できる限り安全な速度と方法で進行しなければならないにもかかわらず(道路交通法三六条四項)、逆に時速七〇キロメートルという制限速度を二〇キロメートルも超過する高速度に加速して本件交差点に進入しようとしている。

5  原告は、前記のように本件交差点の手前で一時停止し、左右の安全を確認したうえ進入しているのであるから、そのとつた行動に責められるべきところはない。

以上のように、被告北島の過失は重大であり、仮に原告に過失があるとしても、その過失の割合は、被告北島八割、原告二割が相当である。

二  被告北島の損害の填補の主張事実はすべて認める。

(証拠関係)〔略〕

理由

(被告会社に対する請求について)

一  事故の発生

1  事故の内容

原告が、昭和四八年七月一一日午前六時二〇分ころ、原告車を運転し、香川県大川郡津田町津田一、五五九番地一先の本件交差点を東から西に向つて進行中、同交差点を南から北に向つて進行して来た被告北島運転の被告車と衝突した事実は原告と被告会社との間に争いがない。

2  原告の傷害の部位程度、治療の経過、後遺障害

成立に争いのない乙第一〇号証の一ないし五、弁論の全趣旨により真正に成立したと認める甲第二号証、証人塚本サヨ子の証言及び原告本人尋問の結果を総合すると、原告は、本件事故により、頸髄損傷、両側四肢麻痺の傷害を受け、事故当日である昭和四八年七月一一日から昭和四九年二月二八日まで高松赤十字病院に入院して右傷害の治療を受けたが、頸髄損傷、両側四肢麻痺の後遺障害を残し、知能活動や言語には格別障害はないけれども、両手、両足が麻痺して自らの力で立ち上ることができないのは勿論、歩行することもできず、自宅のベツトで殆んど寝たままの現状にあること、そして、原告の右後遺障害は、生涯を通じて軽快する見とおしは全くなく、そのため生涯を通じて介護を要する状況にあること、右は自賠法施行令別表等級第一級に該当する後遺障害であることが認められ、右認定に反する証拠はない。

二  責任原因

原告は、本件事故は被告会社に勤務する被告北島の出張出勤途上における事故であるから、被告会社に民法七一五条一項本文の使用者責任、自賠法三条本文の運行供用者責任がある旨主張するので判断する。

被告会社が被告北島を雇傭し、被告会社徳島事業所に勤務させていたことは原告と被告会社との間で争いがない。そして、成立に争いのない乙第八号証、証人田中敏雄の証言及び被告北島秀光本人尋問の結果により真正に成立したと認める乙第四号証の一、二、同第七号証、同第九号証の一、二、証人浜田研一、同田中敏雄の各証言及び被告北島秀光本人尋問の結果を総合すると、被告会社は、ポンプ船による埋立て、航路の浚渫等を主な営業内容とする会社で、全国各地に事業所を有しており、ポンプ船に所属する従業員は、ポンプ船の移動に伴い、それに従つて各事業所を転々としていること、被告北島は、昭和四七年一二月、被告車を月賦(ローン)で購入して所有し、専らこれを被告会社への通勤用に使用していたこと、被告北島は、事故当時、被告会社徳島事業所に所属し、被告会社の浚渫船八重垣丸の操機士として乗船し、浚渫作業に従事していたところ、被告会社から、昭和四八年六月一五日から同年七月一七日まで同会社香川事業所(香川県坂出市築港町所在)に右八重垣丸ごと出張を命じられ、右出張中の日当、宿泊料及び交通費として国鉄徳島駅から同坂出駅までの往復鉄道運賃とタクシー代の一部の支給を受けたこと、ところが、被告北島は、右出張に際し、被告車を運転して出張先に赴き、坂出市京町所在の被告会社社員寮に居住し、被告車をその附近の道路上に駐車させていたこと、そして、被告北島は、右社員寮から丸亀市広島町江の浦港の浚渫作業現場に通勤していたが、その方法は、往復ともに、同寮と丸亀港との間は被告会社差し廻しの自動車で送迎を受け、丸亀港と江の浦港との間は連絡船(フエリー・ボート)を利用し、また、江の浦港における前記八重垣丸での浚渫作業は、一日(午前九時ころから翌日午前九時ころまでの二四時間)交替で勤務し、一日の勤務が終るとあと二四時間は休み(非番)で自由な時間となつていたこと、被告北島は、事故の前日である昭和四八年七月一〇日は非番で、しかも被告会社のボーナス支給日であつたところから、同日ボーナスの支給を受けた後、非番を利用して妻にボーナスを渡すべく、被告車を運転して徳島市南昭和町所在の自宅に帰り、同所で一泊したうえ、翌朝午前五時一〇分ころ右自宅を出発して前記社員寮に向う途中、本件事故を惹起させたこと、被告会社は、従業員の自動車通勤に対し、届出による許可制を採用していたが、被告北島はその届出をしていなかつたことの各事実が認められ、他に、被告会社が、被告車を同会社の業務に使用したことがあるとか、被告北島に非番を利用し被告車を使つてボーナスを家族のもとに届けるよう指示したり、これに特別の便宜を与えたりしたことがあるとか、また、被告会社において、被告北島が被告車を通勤や出張に使用することについて特別の便宜を許与していたとかというような事情は全く認められない。

以上の事実に鑑みると、被告車は、被告北島個人の所有であつて、被告会社の業務用に使用されたことは全くないのであり、しかも被告北島の本件事故の際における運転は、出張先における非番(休み)の日の自由な時間を利用して妻にボーナスを渡すという専ら同被告の便宜のためのものであるから、これは同被告の私生活上の行為であつて、被告会社の事業の執行とは結びつかないし、また被告会社の運行支配が及んでいたものともいえないのであり、更に、右運転は、被告会社への通勤にもあたらないことが明らかであるから、右運転行為をもつて被告会社の事業の執行とみることができないことは勿論、その運行につき、被告会社が運行の支配や運行の利益を有していたと認めることはできない。

以上のとおりであつて、被告会社に民法七一五条一項本文の使用責任及び自賠法三条本文の運行供用者責任があるとする原告の被告会社に対する請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がないから棄却を免れない。

(被告北島に対する請求について)

一  事故の発生

1  事故の内容、治療の経過

原告が、昭和四八年七月一一日午前六時二〇分ころ、原告車を運転し、本件交差点を東から西に向つて進行中、同交差点を南から北に向つて進行して来た被告北島運転の被告車と衝突して受傷し、同日から昭和四九年二月二八日まで高松赤十字病院に入院して治療を受けた事実は原告と被告北島との間に争いがない。

2  原告の受傷の部位程度、後遺障害

原告の受傷の部位程度、後遺障害については被告会社に対する請求についての項でさきに認定したとおりである。

二  責任原因

本件事故は、被告北島が前方注視を怠つた過失により発生させたものであることは原告と被告北島との間に争いがないから、同被告は民法七〇九条により本件事故によつて生じた原告の損害を賠償する義務がある。

三  損害

1  治療費 金二二万二、九九一円

弁論の全趣旨により真正に成立したと認める甲第三号証によると、原告は、治療費として、高松赤十字病院に対し、金二二万二、九九一円(入院期間中の昭和四八年七月一一日から同年一〇月三一日までの分)を支払つたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

2  入院雑費 金六万一、五〇〇円

原告の入院期間のうち昭和四八年七月一一日から昭和四九年一月三一日までの二〇五日間における入院に伴なう諸雑費は、一日金三〇〇円の割合による金六万一、五〇〇円と認めるのが相当であり、右認定を左右する証拠はない。

3  逸失利益 金二、九二二万六、四九五円

証人大江正行の証言により真正に成立したと認める甲第四、第五号証、証人大江正行、同塚本サヨ子の各証言及び原告本人尋問の結果を総合すると、原告は、津田漁業協同組合の組合員であつて、約五トンの漁船(動力船)を所有し、妻サヨ子、長男雅憲とともに一家をあげて漁船漁業とのり養殖業を営んでいたが、右雅憲は若年で漁船漁業、のり養殖ともに経験に乏しく、特にのり養殖には技量と経験を必要とするところから、その技量と経験の豊富な原告が主力となつてこれに当つていたことが認められる。

(一) 漁船漁業の収入

右の各証拠を総合すると、原告一家の昭和四七年度(同年四月一日から昭和四八年三月三一日まで。)における漁船漁業による水揚高は金一〇〇万円であつたこと、他方、右水揚のためにはその三割にあたる金三〇万円の経費を要すること並びに前記漁船の建造費は金四五〇万円で、その耐用年数が一五年であるから、一年間の償却費は金三〇万円であることが認められる。従つて、原告一家における一年間の漁船漁業による収入(純益)は金四〇万円となる。

(二) のり養殖業の収入

前記甲第五号証、証人大江正行の証言によれば、原告一家の昭和四七年度(同年一二月から昭和四八年三月三一日まで。)におけるのり養殖による水揚高は金七六八万四、七八七円(この金額は甲第五号証の金八一八万四、七八七円から漁船漁業の収入金五〇万円を控除したものである。)であることが認められる。しかしながら、原告本人尋問の結果によると、右年度におけるのり養殖はたまたま大豊作であつて、例年だと一月末か二月末までに収穫を終わるのが、右年度は三月末まで収穫が続くという豊作で、その水揚高は昭和四五年度及び昭和四六年度の水揚高(その具体的な金額は証拠上明確でない。)よりもかなり上廻つていたことが認められるから、昭和四七年度の前記水揚高をもつて、そのまま原告一家ののり養殖による恒常的な水揚高とみるのは相当でなく、従つて、控え目な水揚高を認定せざるを得ない。そして、前記甲第五号証、証人大江正行、同塚本サヨ子の各証言及び原告本人尋問の結果を総合すると、原告は、前記水揚のための必要経費として、前記漁業協同組合に対する手数料五パーセント、すのこ及び燃料代合計金一二三万二、六一五円、のり網代金五〇万円(一枚金二、五〇〇円の割合による予備網八〇枚を含む二〇〇枚分。)、人件費金八〇万円をそれぞれ支出しているほか、原告所有の諸機械類の一年間における償却費は少なくとも金六三万三、三三三円((1)のり養殖用の伝馬船の購入価額は金三〇万円で、その耐用年数は一〇年であるから、一年間の償却費は金三万円、(2)ミンチ及びつみとり機の購入価額は合計金一五万円で、その耐用年数は三年であるから、一年間の償却費は金五万円、(3)乾燥機の購入価額は金一〇〇万円で、その耐用年数は三年であるから一年間の償却費は約三三万三、三三三円、(4)すき機の購入価額は金六〇万円で、その耐用年数は五年であるから、一年間の償却費は金一二万円、(5)軽四輪自動車の購入価額は金五〇万円で、その耐用年数は五年であるから、一年間の償却費は金一〇万円、以上償却費合計金六三万三、三三三円。)であることが認められ、右認定に反する証拠はない。

右の各事実に鑑みるとき、原告一家ののり養殖による一年間の恒常的な収入(純益)は金三六五万円(この金額は、例年ならば二月末までに終わるのり養殖が、昭和四七年度は三月末まで収穫が続いているので、のり養殖の期間を一二月から三月までの四か月とみて、前記水揚高から右の諸経費を控除した残金の四分の三をやや上廻る年間を通じ一日一万円とみる。)と認めるのが相当である。

以上(一)(二)の各収入(純益)の合計は金四〇五万円となる。そして、前記事実によると、原告一家の右収入における原告の寄与率は六割と認めるのが相当であるから、原告の一年間の収入(純益)は右収入の六割にあたる金二四三万円(一日金六、六五七円。)となる。

ところで、原告本人尋問の結果によると、原告は、昭和二年四月一二日生まれで、事故当時満四六才と三月の健康な男子であつたところ、本件事故による傷害と前記後遺障害により生涯を通じて労働不能と認められるから、原告が本件事故にあわなければ、事故後なお六三才を満了するまでの一七年と二七五日間就労可能であり、その間前記のように年間金二四三万円を下らない収入(純益)をあげ得たものと推認できる。

そこで、原告の右期間中における二七五日の休業損害と一七年間の逸失利益を算出すると、

(1) 昭和四八年七月一一日から昭和四九年四月一一日(誕生日の前日)までの二七五日における一日六、六五七円の割合による休業損害は金一八三万〇、六七五円

(2) 昭和四九年七月一二日から一七年間における利益の現在価値をライプニツツ式計算法により一年ごとに純益金二四三万円が生ずるものとして算出すると、金二、七三九万五、八二〇円

合計二、九二二万六、四九五円となることが計算上明らかである。〔なお、被告北島は、原告の逸失利益の算定は税務署に対する所得申告額によるべきである旨主張する。なるほど、前記甲第四号証によると、原告の昭和四七年度における所得申告額は金一〇一万三、〇〇〇円であることが認められるけれども、原告には前記のように現実に正当な前記収入が認められるのであるから、右主張は採用できない。また、同被告は、原告の収入から税金を控除すべきである旨主張するが、不法行為の被害者が負傷のため営業上得べかりし利益を喪失したことによつて被つた損害類を算定するにあたつては、営業収益に対して課せられるべき所得税その他の租税額を控除すべきではない(最高裁判所昭和四五年七月二四日判決、集二四巻七号一、一七七頁参照。)から、右主張も理由がない。〕

4  介護料 金五四三万七、八〇六円

原告の前記後遺障害が生涯を通じて軽快する見とおしは全くなく、そのため生涯を通じて介護を要する状況にあることは前記認定のとおりである。証人塚本サヨ子の証言及び原告本人尋問の結果を総合すると、原告は、食事、着換え、入浴、排便、マツサージのための通院には常に一人の介護を要し、そのため家族の原告の妻、長男、次男らが交互に介護に当り、特に入浴、排便、マツサージのための通院は男子が介護にあたつていることが認められる。

右の事実に照らすと、原告に対する介護料は原告主張の一日金一、〇〇〇円(年間金三六万五、〇〇〇円)をもつて相当と認める。そして、昭和四八年の簡易生命表(平均余命)によると、満四六才の男子の平均余命は二八年であることが認められるから、原告も右年間生存可能と推認できるので、年間金三六万五、〇〇〇円の介護料の二八年間における現在価値をライブニツツ式計算法により算出すると、金五四三万七、八〇六円となることが計算上明らかである。

5  過失相殺

前記一項1(事故の内容、治療の経過)及び二項(責任原因)の各事実に、前掲乙第一〇号証の一ないし五、成立に争いのない同号証の六、乙第一五号証の一ないし四、証人塚本サヨ子、同藤田圭一の各証言、原告及び被告北島秀光各本人尋問の結果を総合すると、本件事故現場は、南北に通ずる歩車道の区別のある幅員約一〇・六メートル(うち歩道部分約二・六メートル。)の国道一一号線(以下南北道路という。)と概ね東西に通ずる歩車道の区別のない幅員約一一メートルの道路(以下東西道路という。)とがほぼ十字に交つた交通整理の行なわれていない交差点であること、同交差点附近における南北及び東西各道路はともに直線であるが、交差点の北側には津田川があり、その上に新津田川橋(橋の左右に欄干が設置されている。)があるところから、東西道路を東から西に進行した場合の南北道路の北方の見とおしは約六〇メートル程度しかきかないが、他の各見とおしは良好であること、そして、南北道路は、白線による中央線の道路表示があつて東西道路との関係において優先道路であること、原告は、事故当日である昭和四八年七月一一日午前六時二〇分ころ、原告車を運転(助手席に妻サヨ子同乗。)して、東西道路を東から西に向つて進行し、本件交差点の手前で一時停止し、南北道路の左方(南方)を見たところ、左方約一〇二メートルの地点に同交差点に向つて進行して来る被告車を認め、次いで、右方(北方)を見たところ、右方約五〇メートルの地点に同交差点に向つてゆつくり進行して来るダンプカーを認めたので、ダンプカーよりも先に交差点を直進しようと考え、そのダンプカーに気を奪われて、左方約六〇メートル余の地点に迫つている被告車に全く注意を払わないまま発進し、約一一・三メートル進行した地点で左方から進行して来た被告車の右前部と原告車の左側前部ドア附近とが衝突し、約五メートル進行して停止したこと、原告車は、同年春ころ、エンジンの点火時期の調節をして以来、発進時におけるスタートがやや遅くなつていたこと、原告は、本件事故現場附近を常時通行し、現場附近の道路及び交通状況を十分知つていたこと、他方、被告北島は、事故当日の午前六時二〇分ころ、被告車を運転し、時速約六〇キロメートル(事故現場附近の制限速度は時速五〇キロメートル。)で南北道路を南から北に向つて進行中、本件交差点の手前に差しかかつた際、進路右前方約一〇二メートルの地点に東西道路を東から西に向つて進行して来た原告車が交差点の入口で一時停止したのを認めたので、原告車がそのまま停止して被告車を先に通過させてくれるものと考え、すみやかに交差点を通過しようとして時速約七〇キロメートルに加速し、原告車に十分注意を払わないまま約三七・九メートル進行した地点で右前方約六〇・五メートルの地点に原告車が進入して来るのを認め、直ちに警音器を鳴らすとともに急制動の措置をとつたが間に合わず、前記のように原告車と衝突し、約五・四メートル進行して停止したこと、事故現場に残された被告車のスリツプ痕は、右車輪が一七・五メートル、左車輪が一八・七メートルであつたこと、被告北島は、事故当時までに現場の道路を一二回位通行し、道路の状況を十分知つていたことの各事実が認められ、右認定に反する証人塚本サヨ子の供述部分、原告本人及び被告北島秀光本人の各供述部分は前記乙第一〇号証の一ないし六の各記載に照らして信用できないし、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

ところで、自動車運転者は、交通整理の行なわれていない交差点において、自己の通行する道路と交差する道路が優先道路であるときは、徐行し、かつ、優先道路を通行する車両の進行を妨害してはならない注意義務があることはいうまでもない(道路交通法三六条二、三項。)。しかるに、前記事実によれば、原告は、原告車を運転し、交通整理の行なわれていない本件交差点に進入するに際し、一時停止して優先道路である南北道路の左方を見たとはいうものの、右方から進行して来るダンプカーに気を奪われて、左方から進行して来る被告車が約六〇メートル余に迫つていてそのまま交差点に進入することはまことに危険な状態にあつたのにこれに全く注意を払うことなく発進して交差点に進入し、左方から優先道路を進行して来た被告車の進行を妨害して本件事故を惹起させているのであるから、右事故発生につき原告に前記注意義務(ただし、徐行の点を除く。)を怠つた過失があることは明らかである。そして、本件事故は、原告が、一時停止をした後右発進に当り、被告車の動静を再確認することによつて容易に避け得たことは明白であるから、原告の右過失は後記の被告北島の過失に比較して重大であるというほかはない。これに対し、被告北島は、本件事故発生につき前記二項記載の前方注視を怠つた過失があるほか、自動車運転者は、交差点に入ろうとするときは、交通整理が行なわれていると否とにかかわらず、また、優先道路を通行しているかどうかにかかわりなく、その交差点の状況に応じ、交差道路を通行する車両等に注意し、かつ、できるかぎり安全な速度と方法で進行すべき注意義務がある(道路交通法三六条四項。)のに、前記事実によれば、同被告は右注意義務を怠り、原告車が右前方約一〇二メートルの地点に一時停止したのを認めながら、原告車が被告車を先に通行させてくれるものと軽く考え、原告車の動静に十分注意を払わないまま制限速度時速五〇キロメートルをこえる時速約七〇キロメートルに加速して本件交差点を通過しようとしたため、本件事故を惹起させていることが明らかである。しかしながら、被告北島が右のように、原告車が被告車を先に通行させてくれるものと考えた点については、被告北島の通行した道路が優先道路で、しかも、原告車と被告車の距離が僅か約一〇二メートルであつたこと並びに客観的には反対方向から進行して来るダンプカーが停止中の原告車の右方約五〇メートルの地点に迫つていたことなどを考え合わせると、これを強く非難することはできないから、被告北島の過失の程度は、原告の過失に対比して軽いというべきである。

以上の諸点に鑑みると、原告と被告北島との本件事故発生についての過失の割合は、七(原告)対三(被告北島)と認めるのが相当である。

そうすると、原告の前記1ないし4の損害の合計金三、四九四万八、七九二円のうち被告北島に負担させる額はその三割にあたる金一、〇四八万四、六三七円となる。

6  慰謝料

原告が、四六才の身で本件事故により受傷し、しかも重症の後遺障害に悩み、生涯を通じてこれに耐えて生き抜かねばならないことは前記認定の事実から明らかであるから、原告が多大の精神的苦痛を受け、また、将来もこれを受け続けるであろうことは察するに余りある。これらの事実に、本件事故発生についての原告の過失並びに本件に現われた諸般の事情を合わせ考えると、原告に対する慰謝料は四〇〇万円をもつて相当と認める。

7  損害の填補

原告が、(一)昭和四八年七月一八日、被告北島から金一五万円、(二)昭和四九年一月二八日、自賠責保険から金五〇万円、(三)同年六月一九日、自賠責保険から金五〇〇万円合計金五六五万円の支払を受けたことは当事者間に争いがない。

そこで、原告の前記損害の合計金一、四四八万四、六三七円に右五六五万円を充当(その充当の順序は、前記損害の1、2、3の休業損害、逸失利益の各順による。)すると、原告の損害の残金は金八八三万四、六三七円となる。

四  結論

以上のとおりであつて、原告の被告北島に対する本訴請求中、金八八三万四、六三七円及びこれに対する本件訴状が同被告に送達された日の後である昭和四九年二月二六日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める部分は正当であるからこれを認容し、その余の請求は失当であるからこれを棄却し、原告の被告会社に対する請求はすべて失当であるからこれを棄却し、民事訴訟法八九条、九二条、九三条、一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 山口茂一)

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